思いやりってなんだ?
福島県(川内村)で税金の滞納者に定額給付金での納税を求めていたそうだ。
文書では、給付金を村指定金融機関に振り替えることを委任するよう求め、委任状を提出しない場合は
「給付金が口座に入金された時点で、強制的に納付していただく」と。
文書では、給付金を村指定金融機関に振り替えることを委任するよう求め、委任状を提出しない場合は
「給付金が口座に入金された時点で、強制的に納付していただく」と。
確かに税金を滞納している人も良くないだろうが、問題は「悪意」があるかだ。
大方は様々な事情によるものだろう。
大方は様々な事情によるものだろう。
そして「定額給付金での納税」というアイデアを思いついたのだだろう。
確かに短絡的に「そう思った」瞬間はもしかすると誰にでもあるかもしれない。
なのでその点は役人を責める気にはならないが、少なくとも文書を作って配達するという実行行為に以降する段階で「私はひどい事をしようとしてるじゃないか?」と気がつかないのだろうか?
そしてワープロでその文書を打ち込んでいる人もそうだが誰一人「おかしいよ」と意見を言わなかったのだろうか?そういった意味ではまだ総務省の役人の方がそこへ視点が向いたという点は救われる気持ちだ。
確かに短絡的に「そう思った」瞬間はもしかすると誰にでもあるかもしれない。
なのでその点は役人を責める気にはならないが、少なくとも文書を作って配達するという実行行為に以降する段階で「私はひどい事をしようとしてるじゃないか?」と気がつかないのだろうか?
そしてワープロでその文書を打ち込んでいる人もそうだが誰一人「おかしいよ」と意見を言わなかったのだろうか?そういった意味ではまだ総務省の役人の方がそこへ視点が向いたという点は救われる気持ちだ。
「今回の措置は配慮を欠いていた」という謝罪をしたそうだが、、なんともげせない。
しかし、渡したのは乾燥米で熱いお湯が必要な物だった。ただそれを手渡しただけだった。
しかも動けないお婆さんを敷地内の地べたに寝かせて非常用の食料を渡しただけで、お婆さんの力ではその非常食も開封されないままだった。
しかも動けないお婆さんを敷地内の地べたに寝かせて非常用の食料を渡しただけで、お婆さんの力ではその非常食も開封されないままだった。
翌日にお婆さんは亡くなった。
もともとは警官が見つけ救急隊が救出しているのだが外傷もなくただ空腹を訴えていただけだったため
福祉課のある市役所へ運んだというのが経緯だ。
福祉課のある市役所へ運んだというのが経緯だ。
医者を呼ぶとか容体をチェックするとか、せめて役所の屋内に入れてやっても良かったんじゃないだろうか?
その後、福祉課の対応は「職務逸脱や法的な義務を果たさなかった不作為は認められない」と公式に発表した。さらに心肺停止の心不全だったと。
これでも人間の心があるのだろうか?
なにをそんなにまでして守りたいのか?
なにをそんなにまでして守りたいのか?
こういう人が居る。
「そんなのに手を差し伸べていたら俺も私もと殺到する」
「それを税金で処理していたら破綻する」
「そんなに助けたければお前がやれ」
「そんなのに手を差し伸べていたら俺も私もと殺到する」
「それを税金で処理していたら破綻する」
「そんなに助けたければお前がやれ」
仮にそうなったらそれこそ大きな「問題」となって、むしろ誰しも考える良いきっかけになるだろうと思う。それに「そんなに助けたければお前がやれ」と命令でき神経が理解できない。
こんな話がある。
精神病院である男が「俺は神になった」と騒いでいる。さすがにこの騒ぎに同室の患者が止めに入る。
「俺はお前を神にした覚えは無いんだ」と。
精神病院である男が「俺は神になった」と騒いでいる。さすがにこの騒ぎに同室の患者が止めに入る。
「俺はお前を神にした覚えは無いんだ」と。
まあ、何が言いたかったのかと言うと
このお年寄りも戦時下を生き抜いて戦後の食料に乏しく配給という制度で食いつないだだろう。
そうやって腹いっぱい食べられなかった時代を生きながらも
戦後の復旧を助け合いながら頑張ったはずの人達がお年寄り達だ。
そして飽食の時代とよばれる現代で皮肉にも空腹で息絶えるなんてあまりにも悲しい話だ。
そうやって腹いっぱい食べられなかった時代を生きながらも
戦後の復旧を助け合いながら頑張ったはずの人達がお年寄り達だ。
そして飽食の時代とよばれる現代で皮肉にも空腹で息絶えるなんてあまりにも悲しい話だ。