こころのバリアー

こんな単語がTVから出ていた。
ある車椅子の方が話していた。はっ!!とした。

彼は18歳の時に事故にあい半身不随となった。
彼はこう言っていた。
事故にあうまで、そういった人を見ると可哀想やな大変やろうな、、目をそらしていた
だから自分がそうなったとききっと他の人がそういう目で見ているに違いない
と、それが心のバリアーという意味だった。彼は心のバリアーを破ったのだった。

私も見た目はまったく異常は無いが左手に後遺症がある。だから重いものとかは両手でもてない。
軽いものでも十数分程度しかもてない。
かといって右手に物を持つと今度は信頼できる右手がふさがってしまう。
とにかく不自由を感じるのは常だ。

だから、普段は物を持たない。
不自由だから物を持たないと言いたくないからめんどくさがり屋という性格にしている。
まあ、ある意味一々説明するのがめんどくさいからなのだから間違ってはいないが、、、

特に、見た目は全くの健常者だから「だらしない」とか「男のクセに」と非難される事もあるから都合が良い。面倒なので反論しないし説明する気も起きないから。
「あいつはめんどくさがり屋」で済んでしまう。

私がリハビリしていた頃、偏見すらまだ無い子供が私の左腕を見てこういった
「すげーな、それ」(ロボットのような金属製のフレームを装着していたから)
しかし、横に居たその子の母親が「見ちゃ駄目よ」と子供に囁いた瞬間に私は「障害者」という「自覚」を植えつけられて凹んだ。ショックだった。心のバリアーを張ってしまったんだと思う。

比較するのは良くないかも知れない、でもそういった人達に比べたらとんでもないくらい贅沢な体を持っている。両手は動き、両足で歩いたり走ったりでき、両目も見え、両耳も聞こえる。

凹んでも心が折れても、こんなに与えられているんだからなんだって出来る、乗り越えていける。
そんな勇気を与えてもらった気がした。