ごめんなさい

過ちと故意の違い

足利事件
菅家さんのやりきれない気持ちは分かる気がする。
無実の罪だった。失われた16年半。
だが、今回取り調べを担当した宇都宮地検元検事から謝罪や反省の言葉はなかった。

その主な理由は当時の状況では「有罪と思った」という事だった。

だから謝罪する理由は無いというのが理由だ。

しかし、だからこそ「過ち」では無いのだろうか?
「当時の状況では、、、」なのだから故意では無いのは仕方が無い。
だから、謝る必要があると思う。なぜならそれは「間違い」だったからだ。

「間違い」や「過ち」は謝罪の必要がないという理屈があるのだろうか?
普通は罰がある。
それこそ人身事故だってそうだ。誰も故意では無いだろう。
「間違い」や「過ち」だからこそ謝って済む問題もある


小沢幹事長、鳩山総理、、、、彼らも「知らなかったから」。
それは事実だと胸を張る。

しかし、、、、。

もし、それが「間違い」や「過ち」だとするならどんな時に謝るのだろう。

言い訳が多すぎる。
しかし、そんなのは「謝罪」の後にたっぷりとやれば良い。
むしろ、その方が共感を得られるだろう。
「そうかぁ、仕方なかったんだ」と同情もあるだろう。

しかし、言い訳が先行して謝罪も無いというのは「悪意」だと思う。

「~だから謝罪という行為があるのだ」という事をもう一度考えたいものだ。

ちなみに違法な事を違法では無いと言い、言い訳が先行する精神を「オザワル」と言う人まで居る。
悲しい限りではないか。