わかりきっている事

わかりきっている事だと思う。
 
親兄弟を大切にするんだよ」という一言は確かに余計な言葉だろう。
返事は「そんな事わかってる」だ。当然だ。
しかし、その当然の事が私には出来なかったから辛い。
そう、当然で当たり前のこと。そんな分かりきった事をわざわざ言うのは意味を成さない。
しかし、私には意味がある。
それは両親が他界してから始めて気が付いたからだ。
それは後悔という一言では重さが釣り合わない。
だから、声に出して言う。「自分は親不孝だったと」。
 
この気持ちは旨く伝えられないかも知れないが気が付いたときには既に遅い。
 
母の弟、妹の話は母の苦労話だし私の知らない一面だった。
そんな事に対して「大変だったね」「お疲れ様」の一言すら言うチャンスは無かった。
当然だ、それを知ったときは時既に遅し。
まったくいい気なもんだ。のんきに生きてきた自分が情けない。
 
言葉で言えば簡単だ。「親兄弟を大切にするんだよ」という一言になる。
そして誰でもいつだって「そんなの当たり前で言われなくたってわかってる」と思う。
自分だってそうだった。
しかし、そんなものじゃない。

親の苦労は例えそれが血を分けた子供でも歴史を遡って追体験するようなレベルでは理解していない。
なぜなら「話をしないし聞こうともしない」。

理解すると言う事は、そして感謝すると言う事はその人物が辿った道を心に響くほど会話をする事だ。
それで初めて理解が可能になる。
 
今、生きている人たちに私は言いたい。
「あなたは親や兄弟(姉妹、兄妹、、)の事をどれだけ知っていますか?」
「あなたの親の子供の頃、若い頃、どんな辛い事や楽しい事があったのか知っていますか?」
 
私は何も知らなかったし聞こうともしなかった。
そんな事を考えた事も無かった。
ケンカをする事もあるだろ、言葉をぶつける事もあるだろう。
でも、親の歴史を知っていればその状況は変わるはずだ。
自分の愚かさを後悔することもあっただろうし、素直に謝ることも出来ただろう。
そして声に出して感謝の言葉をためらい無く言えただろう。
 
それは自分を理解し自分を生み育ててくれた親の事を理解して初めて可能になる。
もしかすると一生理解せずに終わるかも知れない所もあるだろうがゼロより10%、20%、、少しでも多く知る事だ。
その思いを一言で綴れば「親を大切に」という言葉になる。
でも、きっと理解するのは難しいだろう。
 
でも気が付いただろうか?、ここまでの話はそっくり自分に当てはまると言う事を。
もし、あなたの身近な人があなたの歴史を知る、知りたがりたい、理解したい、という
事が無いのならそれはつまりあなたの歴史を知っている人はこの世には居ないかも知れないという事だ。
そして、あなたの苦労話を残された人に語られる事も無いという事を。