Memo93 発散の困難と朝永の逆転

前回は朝永のグループで木庭がDankoffの計算を使った計算でミスをした。しかし慎重に調べてみるとDankoffにも計算ミスが見つかった、、、という所まで書きました。

ここで話を再び戦後の日本に戻します。第3話で書いたようにHans Bethe近似的ではあったものの精度のよい回答を出していたのですがこのニュースは朝永グループにも入っていました。既にWeisskopf、 Feynman、Schwingerも計算を始めていたのですが実は朝永のグループも計算を始めていた訳です。

最初に計算結果を出したのがFeynmanでした。同様に計算を始めていたWeisskopf、Schwingerも計算を終わらせていたのだが論文の発表はペンディングしていた。

それは彼らは計算結果がFeynmanの結果と同じにならなかったからです。他の物理学者も追従していたがやはりFeynmanと同じ結果には至らなかった。

朝永のグループも計算を終わらせて論文として発表したがやはりFeynmanの結果と一致しなかった。そして発表を見合わせていたWeisskopfも論文を出した。驚いた事に何と朝永のグループの計算とWeisskopfの計算は一致していたのである。

後でわかったのは実はFeynmanも計算をミスっていた。この事で発表を見合わせていた物理学者よりも先に朝永のグループの計算が出た事で朝永のグループは一打逆転となったのである。その後の話は第4話で書いたとおりです。


歴史にもしも?というのは考えたくなるものです。もしもDankoffが計算ミスをしていなかったら?もしもFeynmanが計算ミスをしていなかったら?おそらく朝永はノーベル賞を手にする事は無かったのではないでしょうか?しかし、朝永らの計算ミスを犯さない慎重な計算が成果に結実したのも確かです。しかしここで、もしあの時、木庭が計算ミスをしていなかったら、、、、

さて、次回はこのサクセスストーリのエピローグを書きたいと思います。