聞く事

最近はやはり心身ともに(というか主に心)が疲れているのだと思う。
そして、少し反省している。

疲れていると人の意見と相違があると「まず先立って納得いかない」、という気分になる。
あるいは、「こうなんだ」と押し付け気味になる。
これでは相手の理解は得られない。

という事です。

こちらの意見を理解してもらうためには私も相手の意見を理解しないといけない。
聞く事」の大事さを失っては成らない。そんな感じだ。

世の中には歪んだ感性を持つ人がいる。
今日も電車の中でまるで我が家のごとく食い散らす、ビールを飲む、挙句の果てに鼻をかんだティッシュを投げる。さすがにみんな引いていた。(注意なんて無意味でしょうね)。
先日もとんでもない事件がありましたね。電車の入ってくるホームに突き落とす。

とても不思議だ。
どうしてこんな人間が生きていられるのか?
そして何でこんな人間に困らされたり、殺されたり、理解に苦しむ。

彼らも生まれた時は「オギャー」と泣いて育った天使だったはずなのに。

いったい誰が、どうやって彼らを作ったのか?

もしかすると困らされたり、殺されたりする被害者やそんな彼らを憎む我々や社会なのかも知れない。
彼らが変貌を遂げる前に耳を傾けて聞く、そんな余裕はいまの社会には無いのかもしれない。

携帯電話とメールに追われ「時間が無い」そんなとこだろう。

くだらない競争だ。
このくだらないレースが作り上げ、取り残された犠牲者、それがこの結果かもしれない。

むなしい気分だ。やはり疲れているのだろうか。
私だけではなくこの世界も。