振り返ってみると、、、

最近、物理学ファンとか物理学マニアなる存在を知りました。
私も同じなんでしょうか? そう見えるんでしょうか?

個人的には否定したいです。それと趣味でもないです。
それと科学者でもないです。ただのサラリーマンなんです。

あ、余談ですが鉄道ファン鉄道マニアっていうのが居ます。
しかし、私は良い印象を最近は持っていません。
私が利用する路線は鉄道ファン、鉄道マニアには魅力的なようでカメラやビデオを構えた人達が群がっています。その撮影の仕方にモラルを感じることが出来ません。
乗客が居るのに平気でカメラを向けてきます。

どんな事でもそうなんですがこういった連中の存在によって私は鉄道ファン、鉄道マニア全てに嫌悪感を持ってしまいます。そうじゃ無いって事も知っていますけどね。

趣味ってなんでしょう?
私の中で趣味の定義はこうです。
つまり趣味っていうの寝食を忘れられるくらい没頭できて休日が楽しみでしょうがない。
というようなものなんじゃないかと思います。

私にとって物理学は苦痛です。それに数学も嫌いです。

数学が嫌いな訳では無く、それは先程の鉄道マニアと殆ど同じ理由なんです。
確かに数学は純粋で美しい学問だと思います。

しかし一切の汚れを許さないっていうスタンスの人が私を数学嫌いにしました。
「普通にやれば」と言えば「普通って何だ?、何をもって普通なんだ?」会話している時くらい前後の脈略や人の表情、目線、仕草から判断して欲しいものです。
物凄く疲れるのです。気が狂いそうに成るくらい。
そんな経験があってから数学が好きという全部が嫌いになりましたね。


自然科学は遠い存在ではなく身近なものです。そう感じます。
ティーカップティッシュペーパーだって自然科学の産物です。
夜空に輝く星もこの宇宙も。

数学はクリスタルのようです。美しい、不純物は一切無い。そして不純物を排除した、、、

でも、物理学は不純物だらけです。
科学者はこの豊かな自然を作り出した原理、数学で言えばクリスタルがきっとあるに違いないと信じています。この真理の探究は遠い昔から未だに続いていますがそのクリスタルにたどり着いた者は居ません。

しかし、この不純物だらけの中にもキラリと光る結晶と思われる断片が見つかっています。
それは相対論であり、量子論でもあると思います。

しかし、残念な事なのですがこの濁った学問の弱みにつけこんだ人もいます。
いわゆる疑似科学と称するものモノです。

先日も元格闘家の須藤 元気さんが量子論によって精神や心霊世界を科学者が認めているといった類の発言がありました。大槻教授が明快な反論をしていてホッとしましたが。

では、なぜ疑似科学が氾濫するんでしょうか?
彼らはどうやって相対論や量子論を「知っている」のでしょうか?
その背景には啓蒙書があると思います。残念です。

啓蒙書は科学を分かりやすく知ってもらおうと専門家が書いた本です。
しかしその危険性は読者の誤解釈拡張・誇大解釈にあります。
当然様々な比喩が多様されますからこのような事態は著者でもある専門家も少なからず知っています。
その点を危惧したのはブルーバックスで多くの啓蒙書を書かれた故・都筑卓司さんです。
都筑さんは明快な比喩を大胆に使う一方で誤解が起きないように苦心されています。
後に数式を使わないというタブーを捨て啓蒙書を書かれています。
それが成功したかどうかは分かりませんが少なくとも一石を投じたと思います。

では、私はどうなんだろうか? ふと思うことがあります。
得た知識を誰かに伝えた時それが私の誤解釈では無いと言い切れるんだろうか?
これがきっかけですなんです。しかし独学ほどこれまた危険なものは無いと思います。
やはり誤解釈は付いてきます。かと言って周囲に専門知識をもっている方が居ません。

それならと思ったのがこのブログという方法です。
そしてブログに書けば色んな知識をもっている方が「それは違う」「こうなんだ」って言ってくれると思いました。
そして実際にそうなりました。特にentangled74さんは本当に親切に教えていただきました。

もっとも何かを勘違いされてツッコミ入れてくる方もいらしゃいます。
私としてはそうじゃなくて「こうなんだよ」って教えて欲しいんですけどね。

それと竹内薫さんの著書がとても勇気付けられました。

なんでもそうなんですが段階があって1、2、3、4、5、6、、と習得するというのが常識だと思っていました。しかし、大げさな事を言えば竹内薫さんは2、5、6でも良く、1や3や4は丸呑みしておけ、っていう方法だったんです。

ある式で詰まっても公式を使う、答えを聞いて次に進む。
公式の証明やなぜその解を使うかはその時点では悩まないって事です。
良いのかな?って思い抵抗もありますね。
街の地図を作るのに1軒、1軒を調べながら作るんじゃなくて飛行機で全体を見て大きな地図を完成させてからでも良いんだなって。

でも竹内薫さんも書いていますが実際に後で分かってくる事があるんです。

そうやって啓蒙書を読み返してみるとまるで別世界です。そんな経験はそう無いと思います。
ブログの独学ノートは間違いも沢山ある濁った不純物ですがいつかは私にとっては大きな財産になって欲しいです。

それと、意外だったのは人として自分を見直す事があった事です。
私が気が付かなかった事に気が付かされたりすることもありました。
暖かい言葉を頂く事もありました。
インターネットの社会に若干否定的だったのですがこういうのも出会いなんでしょう。
最近は良い面もあるんだなと思うようになりました。
外見や育ちも関係なく(っていうか見えませんからね)アドバイスを受けたりアドバイスしたり出来ますからね。
これも私にとっては大きな変化です。

それでは良いお年を。