怖くなくなった事について

目が覚めると今が現実だと再認識して安心感に包まれる。
あれは夢だったんだと。
 
ベランダに向かうと晴れ晴れとした新鮮な空気と朝日のまぶしさに目が覚まされ一日が始まったんだと心の中で納得する。
 
奇妙な夢を見ていた。
それは先日、図書館で見た昔の資料と映像だったと思うがそれが影響したのだろう。
 
そう言えば昔、母が図書館という施設が街にあってそこまで足を運んで資料を見ていた時代があったという話を聞いた事があるという話していた記憶がある。そういえば会社と言う組織もあって父親は毎日そこに出かけていっていたそうだ。なんとなく先日の資料映像と重なって自分がその時代で生きていたような奇妙な感じだ。
本当に奇妙な夢だった。

ほんの十数分にも満たない夢だったのかも知れないが一つの人生を夢の中で体験したような気分だ。
しかし、その記憶も驚く速さで減衰して記憶から消えていきそうだ。
 
妻と出会い、結婚して幸せな生活をしていた。
おぼろげに覚えているが色んな苦難もあったし喜びに満ちた日もあった。
やがて私は老いて施設の窓から青空を眺めていた。
妻は時より私に逢いに来てくれるのが何より楽しみだったが「今までありがとう」という気持ちで一杯だった。

今、私の人生の旅は終えようとしている。
感謝の気持ちと、、、それ以外は無い。
それに不思議な事に恐怖感は無かった。
ふと母はどうだったんだろうと思ったがそれも悩みでは無い。まもなく直接会って感想も聞けるだろう。
むしろどんな顔をして再会したらいいのだろうかと思ってみたりした。
自分で馬鹿馬鹿しいと思ったので久しぶりに一人で笑顔になってしまった。
ベットの横にある鏡を見ると白髪でしわだらけの老いた顔が容赦なく私が老人であることを突きつけていた。
思い起こせば私だって若いときがあった。
まさか、こんな容姿になるなんて思いもよらなかった時代があったし何でもてきぱきとこなせた。

明日の今頃はこのベットも空きになる。
残された家族は悲しむだろうが思い残す事も無く終われるというのは私にとって幸せな事だと思う。
なぜ?、それはいつかまた再会するだろうから。
生きた時代があった。それで良い。
長い旅路もやがては終わる。

そしてついにその時が来たようだ。
しかし、なにも起きなかった。
目を覚ますと本日の天気がホログラフィーで表示され午後に20分だけ降雨が予定されているだけだった。
ベランダに向かうと動体反応感知式のAIセンサーが私を認識してカーテンを開け朝日が部屋に差し込んでいた。そうしているうちに私の夢の記憶も薄れてきてその時の妻の顔すら既に思い出せない。

しかし、現実にはまだベットで気持ち良さそうに寝ている妻が居る。それが現実だ。
小さなLEDが点滅してホログラフィーで今日の私の予定を伝えてきた。
まもなくリニアカーが迎えに来て地球に移動する事になる。
そう、今日は交代の日だった。
地球のあらゆるところに設置された浄化装置の点検とアンドロイドの行動に問題が無いかをチェックするのが予定だ。テーブルを見ると今日の体調に合わせた朝食が既に運ばれていた。

なかなか起きてこない妻を起こそうと思ったがまだ意識初期化が開始されていなかったので妻のAIチップを先日、届いた新しいAIチップに交換する事にした。
これで妻の行動はより広範になるし、自己メンテナンスも可能になる。
朝食を終えてリニアが来る前に少し思ったことがある。
こうして私は今を生きているがやがては老いる。
これだけは現代科学でも倫理的に規制され寿命はテクノロジーで操作されていないからだ。
つまり、やがてはあの夢のようにこの世を去る日が来る。
そのとき、もしかしてあの夢のように再び夢から覚めて今とはまったく異なった世界の自分が現実の自分と
思って安堵するのかもしれないのだろうかと、、、。