数学と物理学の奇妙な関係

ある物理学者がTVで言っていたある言葉が頭の片隅に残っていたのだが最近同じような事を思っている物理学者が意外と少なくないのだなと感じた。
 
どうしてこの宇宙(世界)が数式で表現できるのか?それが不思議だ
 
こうした同様な疑問はおそらくだがユージン・ポール・ウィグナー( Eugene Wigner)が1960年に述べた事が発端かもしれない。
The Unreasonable Effectiveness of Mathematics in the Natural Sciences
 
ウィグナーの主張は「物理学が数学で語れる事の根拠はどこにあるのだろうか?」というような点にあると思うが彼は「こうして容赦なく数学が物理学に入り込んでくる」という気持ちの悪さを少なからず主張しているようにも思える。
 
数学と旨く調和しているようだがそれは不合理で説明しがたい
 
同様な嫌悪感というか悩みを示す物理学者も多いようだ。
アインシュタインですら「数学が独立した純粋な学問であるにも関わらず、それがどうしてこれほど見事に現実を説明するのか?」といった事を言っている。
 
確かに数学は完全に独立して成長していける。
実際、物理学をニュートンが整備した頃にはその境界線は曖昧だったかもしれないが数学が虚数を使うようになってからは完全に数学の独走だったと思う。しかし、それは量子力学の登場で再び無視できない関係になった。
そして一般相対性理論でもリーマン幾何学は決定的に物理学に入り込んでいる。
ファイバーバンドル(ファイバー束)でさせヤンミルズ理論(Yang‐Mills理論)に顔をだしている。もっとも物理学ではそういった数学を知っていたわけではなく完全に独立したアイデアだったようだ。しかし奇妙な事に数学で同じ時期にファイバー束の理論が整備されていた。
 
巷ではスーパーストリング理論だとか高次元の理論が最先端のようだが結局のとことろ現実は4次元(時間+3次元)なのだから次元が多すぎる。しかし、余分な次元は量子レベルで巻き上げられていて小さなエネルギーでは観測できないとされるようだがかりに10次元だとして6次元が巻き上げられているというやり方は気持ちが悪い話だ。もっと言えば7次元が巻き上げられない理由は?

おそらく理論が説明する必要があるだろう。そうでなければ現実が4次元である仕組みは物理学者が声を上げて言わなければならない話になってしまう。

もっともこの事は後になって考えれば今に始まった話ではなくニュートン力学だってそうだ。何も言わなければ100次元だろうが256次元だろうがかまわない。しかし、これがこの先、数学が「証明」するとはとても思えない。
やはり、物理学は数学とは別物だろうが、、、
ん、、、頭が混乱してきた。