家族と

まず表題と異なることだが年末は少し寂しい気がした。
TVをつけると馬鹿馬鹿しい番組のオンパレード、、うんざりだ。
悲しいとか寂しいとか、これは心の問題だと思う。

そういえば、、、と、ふと思い出すのは年末に起きたあの事件。
世田谷一家殺人事件だ。
まだ未解決で毎年この時期になるとどこかの番組でこういった未解決事件を扱っていたが今年はやっていたんだろうか?
やっていたとしても普段見ない時間帯だったのだろうか、、、
 
様々な事件の詳細を知ることは遺族や被害者の心情を思い、心が痛む。
もちろん子供や女性にとって決して見たいものでは無いだろうがそういう気持ちを知ることで重くて辛い気持ちを持つということを知ることもある。
 
例えば名古屋緑区のアベック殺人事件を知ればその事件そのものも想像を絶するが残された遺族や最後まで少年たちに命乞いをし、その思いもおふざけ感覚で殺害された被害者の心情は重く突き刺さる。ましてや残された家族の気持ちは計り知れないだろう。
 
こういった気持ちは実体験で得ることは難しいし、そうなっては成らないと思う。
そういう意味ではじっくりと目を開いてその裏にある「人の辛さ」を知る機会でもある。
暴言がも知れないが道徳の心を冷静に見つめなおす事が出来ると思う。
 
失ってから「思う愛情」と今ある「思う愛情」。
そういう意味でも大切な今の「思う愛情」を自己とその家族と真剣に「思い、考え直す」一つのきっかけでは無いだろうか。
 
これが冒頭に書いた「寂しい」という気持ちだ。
まるで木枯らしに吹かれていつの間には消えてしまう枯れ葉のように人々の心から事件は消えて行くがその「家族」は今もその季節になると心痛な思いは決して消えてしまう枯れ葉のような存在では無いはずだ。

そういう「思い」をもてる人になってほしい。
いつも「相手を思う」気持ちは枯れ葉のように消えてしまうようなものであって欲しくない。
辛いかも知れないがそれが人の気持ちを知るという事だと思う。
 
聞きたくない暗い話題かも知れないが「家族と」真剣に事件のことを話し合い「道徳」の時間とするのも無意味ではないだろう。

明るいことだけに目を向けず目を背けない事も「」として必要な事ではないだろうか?