第8話 不確定という事


手元を離れたコインは床の上で表を向くか裏を向くかは
「不確定」である。
この言葉は普通は正しい。誰もが(ほとんど)そう思っているに違いない。しかし量子力学では少し違った意味で使われる。さて、量子力学を忘れて次のようなプロセスを考えて見る。

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アリスが一枚のコインを手元から落とす。
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このときコインの運動は全て物理学の法則に則って運動していく事になる。原理的には床までの距離、初期の(手元から離れた時のコインの様々な運動、速度、角速度、摩擦、空気抵抗、コインの重心、質量...)状態は全て観測可能なはずである。これらをスーパーコンピュータでシミュレーションしてみるとまるで超高速度撮影で映したかのように次から次へと時間を追ってコインの様子が判明していく事になる。
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そして最後の1コマを計算し終わったとき(コインが停止したとき)まさに手元を離れたコインが床の上で表を向くか裏を向くかを明白に表している筈である。実際には何コマか手前で表を向くか裏を向くかは断定できるはずである。
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このように初期条件から結果への推移は運動方程式によってコインの時間発展は支配されて「確定」的になる。つまり正確な予測が「原理」的には可能なのである。
しかし、現実面では冒頭に述べたように予測が困難(不確定)なのは初期条件を厳密に測定できない、超高速なスーパーコンピュータがまだ出来ていない、運動方程式が解けない、等の技術的困難があるからである。物理学ではしばしばこのような技術的困難が無いならどうなるかという「思考実験」という理想的な実験を行ってそれでも不可能な事は不可能で可能ならそれは単に技術的困難のせいであり物理学的には可能(原理的には可能)と判断する。したがって
手元を離れたコインは床の上で表を向くか裏を向くかは
原理的に「確定」的である。
さらにこの考えを発展させるとこの世のありとあらゆるある一瞬の条件(初期条件)がもしも知る事が可能ならこの世のありとあらゆるある出来事が全て手に取るように判るはずである。そして原理的には(技術的困難は無いとするなら)そのような事が原理的には可能となる。このある一瞬の条件(初期条件)を握った存在をラプラスの悪魔と呼ぶ。そして物理学においては原理的には「ラプラスの悪魔」は存在するのである。

ところが量子力学ではこの「ラプラスの悪魔」は原理的に存在しない
量子力学量子論)以前(あるいは含まない)物理学を今日では「古典物理学」と呼んでいる。そういう意味では「相対性理論」も「古典物理学」である。単に「現代物理学」と云えば量子力学量子論)を含んだ物理学を指す。
量子力学ではこの最後の1コマがどうなるのかは「原理的」に予測不可能なのである。

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最後の1コマはどなん状態なのだろうか?
量子力学の効果が敬著になる極微の世界以外の(コインのようなマクロ)の世界では最後の1コマがまるで予測不可能な状態だった、という事は確率的にはほとんど限りなくゼロに近い事は言うまでもない。

不確定とは事前には決定されていない事であり、つまり予測は不可能なのである。判るのは観測後の結果であり、この結果は観測という行為による影響がもたらした結果なのである。