ニュートン、その人は

ニュートンと言えば万有引力の発見リンゴ、を連想します。
子供でも知っている偉人ですね。

しかし彼の業績はそれだけでは無い事もある程度は知られています。
特に微積分という計算を発見(発明)したと言う事はある程度は広く知られていると思います。

さて、この歴史には他人事ではあるものの興味深い一面もあります。
かつては微積分発明はライプニッツが先か?ニュートンが先か?で激しい論争がありました。

歴史的には出版物を好まなかったニュートンが発表を控えている最中にニュートンとは無関係に微積分発明していたライプニッツが公表した事が熾烈な中傷合戦の幕開けとなった。

第一発見者と自負していたニュートンライプニッツが悪意を持って自分の発見を盗んだに違いないと考えた。激怒したニュートンライプニッツに対して非情なまでの反撃を行っている。
ライプニッツをいじめてやれ!!」といったところだ。

ニュートンの手段を選ばぬ中傷に対してライプニッツも反撃に出る。
ライプニッツ王立協会に苦情を申し入れたのです。
王立協会はこの苦情を受け特別委員会を作り真相究明を約束し公正にジャッジする事を明らかにした。

ライプニッツにしてみれば王立協会が立ち上がってくれたと胸をなでおろしたのだろうか?
この辺りからサスペンスドラマばりの展開となる。

王立協会はニュートンを支持する判断を下したのです。
つまりライプニッツの主張は却下されたのだった。

実は、王立協会の会長、それはニュートンだった!!
当然、会長ニュートンが委員に選出したのはニュートンの言い成りなる者ばかりだった。
その後もニュートンの執拗な攻撃は徹底している。ライプニッツの反論の大半はニュートンの息の掛かった仕掛けに阻まれ、導入する公正な検閲も裏ではニュートンが指南していたらしい。

結局二人の対立は和解することは無かった。
もし、互いに「それが誤解」だと分かり合えばこのような激しい論争には至らなかっただろう。と、この歴史は教えてくれているのでは無いか?と思います。

事実はどうだったのか?
今日、微積分の第一発見者はニュートンであるというのは研究家の間でも見解は一致しているようです。