アインシュタイン、その人は

アインシュタインも先日のニュートン同様に子供でも知っている偉人ですね。
天才の象徴でもありとにかく凄い人、といったイメージでしょうか?

アインシュタインと言えばいわゆるトンデモ科学の絶好の標的にもなっている。
そう、「相対性理論は間違っている」というやつですね。

突っ込みがいが在るのは相対性理論なのでしょうか?。
相対性理論が標的になる理由は良く分かりません。

アインシュタイン1879年に産声をあげています。
特許局に勤めるアインシュタインが26歳の時、相対性理論の基礎(1905年)をほぼ独力で築き上げました。良くご存知の方はこの時点で「ちょっとまった!!」と思いますけどその点は後で。

特殊相対性理論の大きなキーワードは
光速度不変の原理、2つの慣性系の間のローレンツ変換です。光速度不変の原理はマイケルソン・モーレーの実験(エーテルのは存在するのか)が一つの根拠にもなっています。

実は先日、友人とトンデモ科学者の話を面白おかしく話していた時、
友人の「相対性理論光速度不変の原理はマイケルソン・モーレーが実験で検証してるのにね」といったフレーズが何故か少し気になっていました。
実は私も良く知らなかったという事でして、もう少し調べてみると、、、

ローレンツ変換ローレンツ1899年に先鞭を付けていました。マイケルソン・モーレーの実験は1881年にマイケルソンによって、1887年にマイケルソンとモーリーが行っています。
しかもこの実験、マイケルソンの慎重さが伺えます。観測に振動が影響しないようにクリーブランドの全交通機関を止めたほどです。

さて、この時点で妙な事に気が付きますね。年代を引き算してみると、
ローレンツ変換の発見はアインシュタインが二十歳の時です。相対性理論を発表する6年も前の事です。マイケルソン・モーレーの実験に至ってはアインシュタインが8歳
日本で言えば小学生の小僧の時です。

頭の片隅で引っかかっていたのはこの事だったのだと分かった。
相対性理論光速度不変の原理を検証したのがマイケルソン・モーレーなはずが無いですね。アインシュタインがまだ鼻たれれ小僧の時にはもうこの実験は行われていたわけです。

さて、ローレンツ変換ローレンツだけではなくフィッツジェラルドポアンカレが気が付いています。ポアンカレに至っては相対性理論の数学的基礎を1899年頃にはほぼ完成させています。
ローレンツ変換という呼び方はポアンカレ命名しています。

最初の「ちょっとまった!!」の件ですが、もう気が付きましたね。

相対性理論の基礎をほぼ独力で築き上げました」という部分です。

こうやって観てみるととてもじゃないけどアインシュタイン相対性理論の基礎をほぼ独力で築き上げたとは言えないような気がします。
すこし意地悪な言い方をするなら「アインシュタインはみんなの話をまとめただけ」のような気がします。

ポアンカレは気分悪かったでしょうね。「トンビに揚げをさらわれた」とはこの事かも知れません。
もっとも好意的に解釈すればアインシュタインはそう言った情報に触れる事無く本当に一人で思いついたのかも知れません。そうであれば「独力で築き上げた」というのは本当かも知れません。

先日のニュートンライプニッツの話しに少し似ていますね。