東海豪雨

私も今は東海地方。被害の大きかったと報道されているのだが、、、
今朝のニュースを見るまで全く知らなかった。


東海地方を襲った豪雨で大きな被害が出てしまったようです。

8年前の2000年9月11日~翌日にかけて愛知県名古屋市およびその周辺で起こった豪雨災害で東海豪雨とよばれる災害が過去にもある。2日間の積算降水量は多いところで600ミリという途方も無い雨が降った。

幸い私はこのころ東京に居たのでTVで見ていて東海地方の知人友人が心配だった。
腰まで水に使って歩いている姿は今でも忘れない。

当時は100年に一度の大雨だと言っていたがたった8年で再来したわけだ。
やはり、異常気象なのだろうか?。人類へ付けが回ってきているのかも知れない。


ともか交通機関は完全に麻痺していたので時間を置いて家を出た。
私自身は山の上のほうに生活の拠点を置いているので浸水等まったく無関係だった。
ところが駅へ向かう途中の盆地は湖のごとく状態。
「電車が止まって、、」とか言ういい訳で「ん、、、会社行くのやめようかな」と思ったが、
私の利用する交通機関は既に動いているので仕方なくずっぽりと足を水に水没させて歩いた。

やっとも思いで駅に到着。
「次は何分ですか?」と聞くと、、、まだ2,30分も待たないと駄目だった。

田舎なので暇つぶしも無く駅前のコンビニで立ち読み。
そろそろ行くかと思って駅に行くと「次の電車は来ないと分かった」。
相当、混乱しているようだ。

大方、2時間も足止めされ街から出られないでいた。
会社に「今日は有給で休みます」と連絡。
再び、帰途へ。また30分歩いた(今度は坂をずーっと上る)。


さて、8年前の東海豪雨、余り知られていないが被害の少なくない一部は人災だった。
と言っても責任は問えないだろう。というのも次のような事情があるからだ。

最も浸水被害が激しかった天白区野並は堤内地が水面より遥かに低い地形だった。
そして新川の堤防を越えて、、ところがこれはあえてそうなる仕組みがあった。

つまり、A地域を浸水被害から守るために一定量を越えると放流路として機能してA地域の向こう側のB地域に膨大な水を流すのだ。これでA地域は救われる。

まったくひどい話だ。そう思うわれても仕方が無い。

実は古くからの知恵で本来はA地域だけに居住地域があった。B地域は農地だったようだ。
しかしこの知恵を知ってか知らずかB地域にも居住地域を広げた結果がこの水被害だったわけです。