朝に道を聞かば、

朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり
朝(あした)に道(みち)を聞(き)かば、夕(ゆうべ)に死(し)すとも可(か)なり
朝聞道、夕死可矣

中国の「孔子」の言葉ですね。
道を悟ったらそれは達成したのだから、夕方に死んでもいい(その日の夕方に死んでも後悔しない)。
と言う意味で訳される事が多い。これを聞いても心に響かないと言う人も多いでしょう。

つまり、もっと簡単に言えば、何かを達成したらもう死んでも良い
という意味なんだ。と思ってしまうからだろう。何かを伝える文章というのは難しいものです。

少し、逆から読んでみると伝えたい事が分かります。
その日の夕方に死んでも後悔しないしないくらい頑張る

どうでしょうか?

悔いを残さない事です。
いつ死んでもかまわないくらい努力していたなら、例えそれが挫折であっても何もしないで、努力も無しで死ぬよりは良い。

もう一度「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」と読んでみると最初の印象とかなり違って読めます。


朝に道を聞くことが出来たなら、例えその日の夕方に死んだとしても悔いは無い。
何かを成し得る事の尊さを言っているのだと思います。

以前、人生は生きた時間の長さではなく濃さだ、と書きました。そうなのだと思います。

薄っぺらな、漠然とした生き方よりもその日その日を大事に真剣に生きていれば人はいつ死んでも悔いは残らないのだと思います。

私はこんな風に読んでいます。これが孔子の伝えたかった事なんだろうなと。