あの事件

東京江東区の女性殺害事件のニュースは公判内容が伝えられるにしたがって悲惨な事件だった事を伝えている。被害者の家族や友人のぶつけようの無い怒りと悲しみが分かる気がする。

一方、警察の形式的な調査が最悪の結果になる事を防止できなかった事を露呈している。

警察が被告の部屋に行ったときまだ被害者は存命だったようだ。
被告はあまりにも早い警察の対応で殺人という抹殺行為に至ったという。

どうして踏み込めなかったのか?
当然、裁判所の捜査令状無しには入れないという規則があったからだろう。

しかし、こんな時こそ「自己責任」という切り札を使うべきじゃ無いだろうか?
「刑事の勘」という武器があるならやってもよかったと思う。

さらに、殺害の後に踏み込んだ刑事に怪しまれないようにあえて隠し場所を示唆したが
刑事は「そこは良い」といって調べなかったという。
心理をついた悪質さが際立っている。


指示がない限り動けない事で被害が大きくなったというのは阪神淡路大震災の時もそうだった。
自衛隊の救援部隊は準備待機だったという。

人命を救うためなら後でたっぷりと叱られた良い。
その時間は人命を救った後ならたっぷりあるはずだ。

時期を失ってはならない」この言葉を持っていてもらいたいものだ。

普段は我々の生活に溶け込んだ悪魔が潜んでいるかと思うと人間不信になってしまうというのも分かる気がする。

疑い、疑われるような世の中なんてイヤだ。
メディアが頑張れば出来ると思うが晴れ晴れとしたニュースしか流さない日を作って欲しい。

もうこんなニュースは聞きたくない。