本当に必要な物、、、

本当に必要な物、、、。

大きな勘違いがある。

一切れのパンか旅行か?

この単純な問いに対して貧しく飢えた人達の叫び声や生計をやりくりする日々を考えると「一切れのパン」だろう。しかし、それを我慢してでも旅行が必要な時がある。

貧しい家庭で今日の食事に困っても自分の子供の修学旅行は行かせてあげたい。

何が違うのか?
それは未来、将来に思いを馳せる事だ。希望だ。

刷新会議の事業仕分けで次世代スーパーコンピューター開発事業が事実上凍結された。
技術者なら「世界1」はまさに未来、将来に思いを馳せる希望だ。

それは「今」何かに役に立つものではないかも知れない。
しかし、今の子供達はこう思うだろう。

日本って凄い。お父さん達って凄い
僕もきっと、、、

子供の頃、寝食を忘れて何かに没頭した事は誰でもあるだろう。親は言う。

「そんな事したって、、、」
「なんの役に立つの?」ってね。

でも、その時の無心になる気持ちは今でも忘れていない。
仕事で没頭している時も「あの時」があったからかも知れない。

無味乾燥した世の中にあって希望は必要だ。

刷新会議の事業仕分け」は極めて純粋だ。それは確かだ。

ライオンは子鹿を喰いちぎり切り裂く。
それは純粋すぎるほどだ。なんの同情も無く後悔も無い。

しかし、例え飢えても人間はそれを食料とするときでも残酷な事はしない。
自然の恵みに感謝し命の尊さをかみ締める。
少なくとも我々の目の前で殴り殺して切り裂く様は見せない配慮はあるだろう。

もちろん無駄は削減すべきだ。それには反対はしない。

私がこの点について今日こんな事を書いた理由は、蓮舫議員らの言葉だ。

1位でなければ駄目なのか?
国民生活にどう役立つのかが分かりにくい

私はノーベル賞を授賞された小林さん・益川さんの意義は大きいと思う。
日本人が1位になった、世界がそう評価した。
しかし、両名の研究が私の生活にどう役立つのかが分かりにくい、どころか全く分からない。

しかし、彼らを目指す若い科学者はきっと希望を持つだろうしそれを支える友人や家族もそうだろう。

「1位でなければ駄目なのか?」と言えば「「1位でなければ駄目だ」。

しかし、それは1位を目指す事が真の目的ではない

何かを成し得る努力、寝食を忘れてそれに向かう精神と人類の性質とも言える探究心の結果が1位になるだけだ。それは私が仕事の成果を認められて昇給するのと同じだ。
彼らを客観的に評価されたと言われるために我々に与えられた単なる数字だ。

昇給するために頑張るのと頑張った結果を評価されて昇給されるのには大きな違いがある。

少し、話が飛んでしまったが彼らの成果もスーパーコンピューターが大きな役割を果たしている。

将来、日本が日本人が誇りに思えるものが無くなった日本にはなって欲しくないと思う。