備忘録・Never give up(最終回)

その日はとても天気の良い日だった。
紹介状をもって、とある病院に行った。とても大きな総合病院だった。
すでに病院には連絡が行っていたので検査まで待たされる事もなかった。
検査と言っても大したことは無かった。紹介された医師による問診と触診だけだった。

「あー、ここで手術するのかーー」と気分は凹んでいた。

やはり、有名な医師らしく私の時には他の若手の医師も数人見学に来ていた。
色々と触診したあと

「もう2週間くらいは様子を見たほうが良い」と言われた。

「2週間なんてすぐに過ぎ去ってしまう」と思った。
覚悟を決めていただけに何ともいえない気分だった。
今更回復の兆しも無い、変化の無い2週間を過ごすのは苦痛にさえ思えた。

憂鬱な気分もあったのでトポトポと駅まで歩いて電車に乗った。
ふと見ると会社の上司が居合わせた。乗換えまで色々と話したせいか気分は少し落ち着いてた。
一時帰宅だったので久しぶりの我が家に戻った。

翌日もとてもいい天気だった。病院に向かうため田舎の駅でぽつんと一人電車を待っていた。

その時異変に気がついた。
親指が少しだがピクッと動いた気がした。
落ち着いてもう一度親指を見てみた。
錯覚だった。

そう思ってしばらくすると、またピクッと動いた気がした。
とうとう頭もおかしくなったのかと思った。
そこで錯覚かどうかを落ち着いて力みを解いてしばらく観察してみた。
また、ピクッと動いた。今度はちゃんと見ていたから錯覚では無かった。

動いている!!親指が微かだが動いている。!!

リハビリで電流による筋肉を動かすチェックでは全く反応は無かったが凹む事は無かった。
所詮は機械だった。確かなのは今朝ちゃんと動くのを見た事だった。

電光石火という言葉があるが、その日を境に驚くほど目に見えて回復していった。
最初の一週間で親指がほぼ動くようになった。その後は1週間で薬指、中指、小指が動き出した。
そして手首が動くようになった。

その後、腕の中にあったプレートを外す手術を受けた。リスクはせっかく回復したものがこのプレートを外す事で駄目になるという点だった。プレートの体内で安全な期間は20年~30年と言っていたのでそのままでも良かったがその頃の年齢を考えると外しておくべきだと決断した。

全身麻酔での手術だったが手術後にびんたで意識を覚醒された。

「手を動かしてみて!!」という声が聞こえた。
動かせた。

その瞬間安心したのか再び意識を失った。

その後1週間ほどで退院して現在に至ります。
最終的には人差し指が回復しなかった点と麻痺が残ったが今では言わなければ誰も気がつかないほどです。

キーボードを打つとき、缶のプルトップを開けるときちょっと変だけど。

とにかく諦めないでリハビリを続けて本当に良かったと思う。
過ぎた時間を取り戻す事は出来ない。
そしてNever give upという言葉は私の座右の銘になった。