人として動物として

世界中が不況に喘いでいる。
一部の経済学者や軍事評論家が危惧しているのは戦争だろう。
貧困に喘ぐ国家の最終手段だと思う。

大国アメリカでさえも国民が寒さに震えるときは行動を起こすに違いないと考えている人も少なくない。
しかし、そういう時こそ国際協力が必要になる。

一旦、戦争状態になればそこから立ち直るには100年はかかるだろう。
そして、いつも最大の被害者は女性や子供を主とする非戦闘員だ。

生物学的にはこういった事を契機に混血が起きる。
かつての古代人はアフリカを基点に3度の進出が行われている事は混血による遺伝子の変遷から分かっている。いつも平和的な混血が起きているわけではない。

皮肉な事にこの混血が人類を救ってきた。

かつてある小さな集団が滅亡しかけていた。
そこに一人の放浪者が現れる。
長い時を経てみるとその集団は大きな集団となり大きな繁栄を遂げていた。

遺伝子の多様性によって種が維持されたわけです。
オシドリも人で言えば不倫を頻繁に行っている事も遺伝子から分かっている。
まったく皮肉な事です。


人を動物としてみたらこうなるんです。
戦争は人を動物に変えてるといっても良いかもしれない。
原始人(古代人)は動物的だったてことだろうか?

何がどうだと人なのか?

この答えはやはり古代人が教えてくれる。
ネアンデルタール人の遺骨を詳しく分析してみると様々な花粉がそこにあったことを示している。
彼らは決して動物ではなく死者を埋葬し花を置いたのである。

我々現代人が彼らより劣った行動をしていては恥ずかしいじゃないか。

国際協力を始めとする弱者を助けるという気持ちこそがどんな武器よりも強い事を信じたいものです。