五月雨(さみだれ)

五月雨さみだれ)と聞いてどんな雨を思い浮かべますか?
五月の雨?では無いですね。それは6月の季語であることから分かります。
早い話、梅雨(つゆ)ですね。

私が思う五月雨は、ただ淡々と降り、野山を潤し、田園にポツポツと円形の波を無数に作りそれは消えてはまた円を作る。長靴を履いた子供が体の大きさに似合わない傘をさして登下校。
タツムリ。
こんな事をイメージします。

五月雨を あつめて早し 最上川」 松尾芭蕉の有名な一句があります。
淡々と降る雨は野山を潤して小さな流れとなりそれは色々な所から集まってやがては川(最上川)の流れになる。
そんな情景を歌ったのでしょうか?

やはり、夏の雨や台風シーズンの雨とは違うイメージです。
日本にはこのような風情を見事に表現した言葉があります。
単に「」ではないその表現には昔の日本人がそれらに色んな思いを抱いた事が伺えます。
この表現の豊かさにはただただ感銘します。すばらしいです。
そういった意味で「五月雨」は英語などには翻訳不可能な単語と言われるのは納得できます。

五月雨(ごがつあめ)、最上川(さいじょうがわ)等と読んでいるのは嘆かわしい限りです。
最近はTVでも平気でこんな読み方をして笑いを取ろうとしている傾向があります。
恥ずかしい事だと思わなくなった事が泣けてきます。

本来は親から子へ聞かせ、語り継がれるものでは無いでしょうか?
雨の日に一緒に歩いている時にでも「この雨はね、、、」といった会話を通してこの素晴らしい文化を繋いでいって欲しいと思います。

五月雨、夕立、春雨、村雨
これらの「雨」にはそれぞれの風情とイメージが込められています。
だた悲しい事もあります。
かつての日本はこれらに若者を乗せ戦地に向かわせた事も事実です。
それは「駆逐艦」に付けられた名前です。


雨は嫌われ者ですが季節の雨のそれぞれの風情を実感する事もたまには良いことかも知れません。
季節をからだ全体で実感する、そんな心のゆとりが欲しいものです。