もう一人の自分
因果関係を持たない平行に存在する世界に自分が居る。
まったくSF的な話だ。と思うがれっきとした物理学の話だ。
まったくSF的な話だ。と思うがれっきとした物理学の話だ。
もっともこの「すっきり」というのが曲者だ。
もう少し言うと「多世界」という奇妙な解釈を認めればだ。
もう少し言うと「多世界」という奇妙な解釈を認めればだ。
もう少し、比喩で考えてみると。
サイコロをあなたが転がす。3の目が出たとする。
これはたまたま「3の目が出た」と思うだけだろう。しかし、多世界解釈はサイコロを転がしたあなたは分岐した世界にそれぞれ居て1の目がたまたま出たと思っている自分、2の目がたまたま出たと思っている自分、、、
と言ったようにお互いを認知することなく自分が自分だけだと思っている。
サイコロをあなたが転がす。3の目が出たとする。
これはたまたま「3の目が出た」と思うだけだろう。しかし、多世界解釈はサイコロを転がしたあなたは分岐した世界にそれぞれ居て1の目がたまたま出たと思っている自分、2の目がたまたま出たと思っている自分、、、
と言ったようにお互いを認知することなく自分が自分だけだと思っている。
宝くじに当選して大金持ちになる話しがある。かなりブラックだが科学者の真面目な話だ。
あなたは宝くじを買う。
もし、外れなら即刻殺されるような仕組みを用意しておく。
もし、外れなら即刻殺されるような仕組みを用意しておく。
多世界が正しいならあなたは生きている。そして大金を手にする。
もちろん、多世界の殆どのあなたは死んでいる。
もちろん、多世界の殆どのあなたは死んでいる。
しかし、どれもあなただ。