カイゼン

改善の事だ。Kaizenとして世界でも通用する言葉にもなっている。

特に製造業に携わる人達にとっては重要なキーワードにもなっている。
しかし、現在では製造業に留まらず一般企業のあらゆる側面でこのKaizenは生かされている。

Kaizenはその第一歩がカイゼン意識だ。その意識が無ければ単なる日常のありふれた事になり、何も気が付かないためそもそも改善などがなされるはずも無い。

これは日記を書こうとして何を書いたら良いのか分からないとか、書く事が無いと思ってしまう意識と同じだ。本来なら様々出来事があって成り立った一日のはずだから何も書けないはずは無いがそれが書けないのはその意識が無いからだ。まあ、これは例えなので日記が書けない事に対してどうという事は無いが、改善がなされないとそれは外部からの指摘がなされない限り、いや指摘があっても問題が残ったままになる。

これは企業の場合、致命的な損失にも繋がる。
つまり、その問題の「つけ」は従業員だけではなく利用者(ユーザー)に波及する。

あ、なんでこんな事書いているかと言うと役所の業務だ。
ただ、勘違いして欲しくないのは役所の人達の対応が悪いとかサボっているという意味では無い。

10年前、親父が死んだ後の様々な手続きでとんでもなく疲れた覚えがある。
役場に行ったり社会保険事務所にいったり、コピーすらとってくれなかった。

今では国民番号制とかいって一人ひとりにIDが振られている。
なので死亡届さえだせば全てこのIDをキーに手続きが終わる(はずだ)。
なので役場に1回足を運べば全て終わらせることが出来る(はずだ)。

しかし、10年たっても全く同じだ、公共料金だってそうだ、水道は水道局、、、、
それぞれ同じ事を何度も書かされる、氏名、住所、生年月日、挙句は戸籍謄本が必要だからも一度役場に行ってくれ、また別の所では戸籍抄本が必要。何度か足を運ぶと印鑑を忘れてまた取りに戻る。
さらに、今度は預金通帳を持って来い。
本当に疲れる。

役所の人達は親切だった。それは10年前とは比較にならないほど好感触だ。対応の仕方がかなり改善されている事は確かだ。実際、10年前はなるべく役所には行きたくないと思った程だ。

しかし、やはり企業に勤める会社員からみれば「改善意識」が欠如している(ようだ)。
ただ、彼らに改善意識があってもそれを生かせない地盤があるとしたらそれはもっと上の方に鎮座しているに違いない。

まあ、そんな単純な組織ではないのだろう。可哀想かも知れない。
さらに、これはあくまでシステムエンジニア的発想かもしれないがIDがあるなら全てのデータベースとリレーションを構築してIDだけで一発で全て処理するようなシステムはその気になれば出来ないはずが無い。ID数なんて高々1億5千万件じゃないか。

あ、各役所でコンピュータシステムが違うから?
そんなの馬鹿げた理由だ。
IDを入り口にして後は口金を合わせれば良い。
簡単じゃないか。


※注
「そんなの馬鹿げた理由だ」「簡単じゃないか」それを文面どうりしか読めないなら私は泣きます。
逆に、「バカ、簡単なわけ無い」と思ってしまったら、それはもうカイゼンは行われないという事だ。