幼児の心と存在感
こんな私にも幼児という時期があった。
先日は、うとうとと浅い昼ねをしてしまった。
気がつくと母の腕の中に居た。
奇妙な感じだ。
何かを考える事も無く、悩みも、悲しみ、辛さも無い、愛情だけを受けていた時代。
奇妙な感じだ。
何かを考える事も無く、悩みも、悲しみ、辛さも無い、愛情だけを受けていた時代。
揺りかごに揺られるような安息だけを感じる時代。
目を覚ますと若い母の顔が覗きこんでいる。
今の自分が幼児の僕を客観的に認識している奇妙な感覚。
今の自分が幼児の僕を客観的に認識している奇妙な感覚。
目を覚まして「何か変な夢を見てしまった」と思った。
時は一気に流れ現在と言う現実世界に引き戻された感じだ。
なんだろう、、、なんかもう一度戻りたいと思ってしまった。
なんだろう、、、なんかもう一度戻りたいと思ってしまった。
僕が生まれた時に比べれば日本、世界は大きく変わった。インターネット、DVD
デジタル放送、食べ物、道具、看板、ありとあらゆるものが未来のアイテムとしてしかなかったものが今そこにある。
デジタル放送、食べ物、道具、看板、ありとあらゆるものが未来のアイテムとしてしかなかったものが今そこにある。
それらが無い時代に戻りたいとは思わないかも知れないが、戻りたいと思ってしまった自分が居た。
さすがに今日は辛い、辛くて、心が折れそうになる。
誰かに甘えたい、すがりたい、そんな弱気な自分が情けない。
誰かに甘えたい、すがりたい、そんな弱気な自分が情けない。
残された月日はそれほど無いけど、俺は仕事も頑張るし、遊びもそれなりに楽しむよ。
それでいいだろ?
だから悲しくないし心配いらないよね。
それでいいだろ?
だから悲しくないし心配いらないよね。
私は親孝行できたんだろうか、分からない。
きっと親不孝だったに違いない。
きっと親不孝だったに違いない。
私に出来る親孝行は「もう心配しなくて良いよ、俺は大丈夫だから」という言葉しかない。
今日、私は母を病院に連れて行った。
道中、車から見える景色は何度か見た景色、助手席の母を見ると何処を見るのでもなく景色を見ていた。
立って歩く事もままならない程の貧血、そして洗濯も買い物できなくなったという老いを改めて実感する横顔は青い空を見つめていた。
きっと気がついていると思う。単なる貧血じゃないって事は。
道中、車から見える景色は何度か見た景色、助手席の母を見ると何処を見るのでもなく景色を見ていた。
立って歩く事もままならない程の貧血、そして洗濯も買い物できなくなったという老いを改めて実感する横顔は青い空を見つめていた。
きっと気がついていると思う。単なる貧血じゃないって事は。
今日は診察の後、帰る気持ちで居たがそれも叶わないと知った。
着替え等をとりに一旦帰宅する道中、母は再びこの道を私の運転で帰途につけることを祈るだけだ。
なんども母は「ごめんね」「ごめんね」と言った。
どうして謝るんだよ!!。もう私はそんな言葉は聞きたくない。
ほんとうに、、、ききたくない。
私は謝ってもらうような事など何一つ無いのに。
ほんとうに、、、ききたくない。
私は謝ってもらうような事など何一つ無いのに。
楽観的に考える事も出来る。今は病状は安定しているので歩行中にふらふらするのは貧血と精神的に凹んでいるため食欲が無いために起きている症状だからそれが改善されれば一先ずは良いだろう。
今、こうして部屋で書いているといつもと変わらないのに。
部屋に居る時は何処に誰が居ようと分からないはずなのに。
母が居ない空虚な自宅を感じてしまう。
部屋に居る時は何処に誰が居ようと分からないはずなのに。
母が居ない空虚な自宅を感じてしまう。
姿が見えなくても廊下を歩く音、トイレの水を流す音、お皿やコップを洗う音、という存在感があったが、今はそのすべてが消えた。
でも、プラス思考しよう!!。そう、こんな時だからこそ。
母は6月一杯は病院だから私が外出中や会社に行っている時に家で倒れたり、そんな心配は要らなくなった。そっかぁ、安心して会社にも遊びにも行けるじゃん。
母は6月一杯は病院だから私が外出中や会社に行っている時に家で倒れたり、そんな心配は要らなくなった。そっかぁ、安心して会社にも遊びにも行けるじゃん。
強がりじゃ無い、まだ起きても居ない不安に怯えたってしょうがない。
今、この瞬間、瞬間を正面から生きてこそ人生だ。
今、この瞬間、瞬間を正面から生きてこそ人生だ。
そうだ、不安や悲しみもあるけど「明日、考えよう」
I can't think about that right now. If I do, I'll go crazy. I'll think about that tommorrow." 「今考えると気が狂いそうだわ。」 「明日に望みを託しましょう。」 『風と共に去りぬ』のスカーレットの言葉。って事だ。
辛い思いをしているすべての人にこの言葉を贈りたい。