苦労と辛いこと

今朝、通勤途上で開店前にまつ人の群れを見ました。
しかし、その直後に気分が悪くなってしまった。
本当に不気味だ。
まあ、個々には別段気にはなっていないのだろうけど客観的な視点に立った瞬間に気分が悪くなったのだ。

何が不気味だったかというと、、、
待っている人々、若者の殆どと言っていいくらいが揃いもそろってケイタイを開いてその小さな画面を覗き込んで居る風景。

以前、駅のホームで待つ人々がそういう状態にある事に気がついてから私はホームで電車を待つのを止めたくらいだ。

なんでか分からないがちょっとした吐き気がする。
世の中どうなってしまったんだろう、、、。
なんとなく地球に良く似た別の惑星に私が取り残されているような、、、。
ん、、、考えるとやっぱり気持ちが悪くなる。

人はなんの因果か知らないが今という時間と空間を共有してうごめいている。
地球というリンゴにたかる虫の如く。

無関係といえば無関係だが今を共有している事は確かだ。
同じ天気、同じ太陽、同じニュースを見聞きする。

しかし、その中にあって多くの苦労をする人も居ればそうでない人も居る。
そして、辛い時間を否応なしに生きる人々も居る。

ただ、勘違いしてはならないのは「苦労」する事と「辛い」事は別なの事で本来は因果関係は無いはずだ。
しかし、往々にしてこれらはリンクしている。

辛いことは決して苦労では無い。
苦労するということは振り返ってみれば辛かった事になる。
しかし、振り返って見ている時、振り返って見ているという事は、それは苦労が報われたという事だ。

つまり、今、辛いと思うのは苦労していないかまたは本当の意味で「辛い」時間なのだろう。
本当に苦労してるならきっと過去を振り返って「辛かった」と笑顔で語っているだろう。
そう、人生を語るという一つの資格を得たという事だ。