ちょっと怖い話(物理学)

究極の物理理論、そういうものがあると物理学者は信じている。
今は原動力でもあり、信仰でもある。
もちろん、そんなものは無いという物理学者もいるだろうがそれも信仰だろう。
結局、あるか無いかというのはあまり意味が無い。
もし、そのような理論の候補があったとき「究極」という判断はどこでされるのだろうか?

考えられるのは全ての現象を説明でき理論の予想と一致する事だろうが「全ての現象」をいったいどれだけの時間をかけてするんだろうか?かつてアインシュタインが言ったように宇宙の発生と存在に対して
「神に選択肢はあったか?」
という問いにも答えるだろう。
物理学者の思いは、そのような存在は不要で理路整然とした法則から今の宇宙は出来たに違いないと考えている。なので究極の理論の最終的な検証としてもっとも単純なのは「時空」というか「宇宙」を、、つまりビックバンがその理論が予想するように発生し、この宇宙と同じものが理論の示すとおりに出来ることだろう。
※あくまで究極の理論がそうだとしての話だが。
 
しかし、そうなると、あるパラドックスが生じる。
この世界(時空、宇宙)はもしかしたら誰かの実験の結果ではあるまいか?。。。。。と。
そうすると「神」は我々そのものだったという事に、、、、。
 
なんかモーリス・メーテルリンクの「青い鳥」を思い出すのわたしだけだろうか、、
※チルチルとミチルが、幸福の青い鳥を探しに冒険に出かけるが、見つけたときそれは自分の家の鳥かごの中にいる鳥だったというお話。