地下鉄(メトロ)に乗って

地下鉄(メトロ)に乗って
浅田次郎の小説です。この小説は話題になる前に読みました。映画化もされましたね。
この小説、心地よいというか何とも言えない感動があった。
それもちょっと他界した親父との関係がラップする部分もあったからだ。
それと、もう一つは銀座線

私も今の田舎に来るまでは東京が生活圏でした。当然通もメトロ、イヤになるくらい使っていました。
※朝の通勤は本当に大変でした。


主人公の小沼真次が何かの力で確執のある親父の過去を見せられる
その一つの場面でまだ少年の小沼佐吉が銀座線で戦地に送られる場面がある。
見送る人たちがバンザイ三唱で佐吉を送る。

銀座線は戦時中そうやってまだ少年を戦地に送り出していた。そんな歴史があった。

私も銀座線は使っていたので駅のホームに立つとこの事をときより思い出した。

もしかすると過去の同じこの時間と場所で多くの人たちがまだ幼い青年を送り出していたのかと。
そんな場面が見えてくるのでは無いかと思う時もあった。
ふと気が付くとそこには無味乾燥した人の波の雑踏がある。時間よ止まれ!!と叫びたくなる。

自分が大きな歴史の中のちっぽけでつまらない存在なのかも知れないと考えた。
慌しく電車に詰め込まれると雑誌を読む人、縁学を聴く人、今日の打ち合わせの事で頭が一杯の人。
過去と現在がラップする。
窓の向こうのホームで少年を見送る両親や町の人たちが次第に後方流れてゆく。
涙をこらえた少年が今、この場に立っていたかも知れない。

その時の両親の心境はどうだったんだろう?、少年の心の中は?

鉄道や道路はそうやって無数の悲しみや喜びを何度も運んでいる。
歴史を全て知っている存在なのかも知れない。
たまにはそうやって思いを巡らすことも良いかも知れない

自分らしく生きたい。と人は言う。自分らしくって何だ?
想像を超えた苦難や悲しみを乗り越えた人だけが語れる言葉じゃないのだろうかと感じることがある。

私たちは本当は「あの人みたいに生きたい」「彼のように生きたい」というのが本当は正しいのかも知れない。
ただ、悲しいかな現代の華やかでスピーディーな時代にはもう、

そんな「あの人」は居ないのかも知れない

だから、「自分らしく生きたい」というのは選択肢の無い現代流の生き方なのかもしれない。
だから、私も「自分らしく生きたい」と言う。ただ、「あの人」が現れるまでだ。