ちょっとした気遣い

ちょっとした気遣いというのは特にサービス業と呼ばれる人たちには必要な事だろう
(と思うのだが)。

先日、ある会社のタクシーに乗ったのだが運転手の無愛想ぶりにもうこの会社のタクシーには乗りたくないな、と感じてしまった。ユーザーというのはちょっとした事でイメージを固定してしまう。

それは自分に当てはめれば直ぐに分かる事だ。
茶店でコーヒーを飲む、お金を支払って終わりだ。
ただこれだけの事だが無言で釣銭を無愛想に渡されたり、コーヒーを出す出し方がよそ見をして
「ほらよっ」って置いていくような喫茶店はもう二度と行きたくないと思うのはごく正常な感覚だろう。

もちろん、売る側買う側という立場で言えば、お金と「物」を交換さえできれば良い訳だから愛想など不要なのかも知れない。と思うだろうがそうは行かないのが人間だ。
血の通っている人間ならではの「勘定」ならぬ「感情」がある。

さて、疑問点がある。そのような人に、何故働くのですか?どうしたいのですか?
答えは簡単だ目的は色々あるだろうが「お金」が欲しい「沢山欲しい」からだろう。

結局、あのような態度で商売すれば個人ではなくその会社のイメージが下がる。
逆に、イメージを上げれば会社の業績が上がる。強いては個人の給与にもその恩恵は反映されるはずだ。

だから、個人の問題ではなく(ちょっと我慢して?)会社(勤め先)のイメージを上げる事は決して個人にはマイナスには成らない。
悪く言えば「役を演じている」時間が業務時間だと思えばいいのじゃないのだろうか?


大リーガー・イチローのある一言が忘れられません。

プロだから魅せる野球をしなければならない。
球場には貴重な時間とお金を使って遠くから来てくれる人が居るからだ

貴重な、、、と付け加えた所が「ちょっとした気遣い」だ。
しかしその言葉は決して「ちょっとした」では無い重さがある。
プロ意識を強くもっているからだと感じた。
この言葉で私はイチロー選手を好きになった。