北京オリンピックと夏休み

かれこれ10年ぶりくらいの久しぶりの夏休みだ。
悲しい事に予定というか計画を作らない性格なのでとりあえず行き当たりばったりの休暇をすごそうと思っている。さて、4年に一度のオリンピックをとりあえず噛り付いて観たい。

オリンピック、ほんとうに素晴らしい。
私の場合、競技ももちろん素晴らしいと感じます。
でも、どうしてもその人物のこれに懸けた思いを考えながら見てしまいます。

日本選手が勝つ、これは素晴らしい事です。しかし負ける日本選手が居ます。
悔しいでしょうね。「頼む!!もう一回やらせてくれ!!」って、叶わない夢。
4年と言う月日を待つしかない。大変な苦労だ。
どんな選手も同じに違いない。4年間をこの一瞬のために頑張った成果。
それが敗北だったら。

再び国の頂点に立ち若手の台頭を阻み、それを4年間維持する。その集大成がオリンピックだと思う。
さらにその集大成の結果をオリンピックの試合の時に発揮しなければならない。
腹が痛いとか熱が出たなんて事は絶対に合ってはならない。健康管理も選手には重要な戦いでもある。
そういう意味ではオリンピックの戦いはもっと前から始まっている。
こう考えると女子選手は生理もあるだろうからもっと大変かもしれない。

日本選手が勝つと嬉しいが敗北は「夢叶わず、無念」だろう。しかしこの事は相手選手にも言える。
相手選手も勝つためだけに4年間を努力したはずだ。
努力しても叶わない事もあるという現実と向き合わなければならない。

どんな(悔しい、嬉しい、、、)結果もそれは大局的に見ればそれぞれの生きた証であって決して人生の失敗ではない。それが人生であって「それでいいのだ」。それが生きている醍醐味だと思えば様々な仕掛けが人生にはある。面白いじゃ無いか。それを楽しむ事が生きると言う事だと思う。
人生ゲームみたいに、1回休みとか2つ戻るとかね。
だから、生きている限りそれは人生は失敗ではない。

選手もその人生のその時、大きな重圧と4年間の努力が一瞬で弾ける。
その結果は人生は失敗ではないし、人生と言う道のちょっとした仕掛けを経験したのだ。

人間としての選手を感動して見られる点、これが私が良いと感じる所かも知れない。

1984年のロサンゼルスオリンピック
エジプトのラシュワンと山下の決勝戦はその中でも最高の試合だと思う。
山下は怪我をして片足を引きずりながら決勝戦へ。動きに精彩を欠いた山下は寝技で金メダルを獲得した。

勝戦ラシュワンは弱点でもある山下の右足を一度も狙わなかった
このフェアプレーの精神は金にも値すると思う。これが敗者でも素晴らしいと思える一つの出来事だった。