科学者もスポーツ選手も考えるべきなのだ(事業仕分け)

正直いってガッカリである。
彼らは「夢を語らないし、説得努力が無い」。

仕分け人はいわば我々の代表だ。当然シロートだ。
そして使われる血税は我々シロートのお金だ

なのに彼らは「説明、説得」能力というかその意思が感じられない。
欠落している。というか視点がずれている。

一般社会人ならこの苦労は嫌と言うほど味わっている。
予算や稟議を通すためには相当な苦労が必要だ。
つにね会社に利益があるのか?という問いに対して明確な説明なしに開発は認めてもらえない。
当然、説明する相手は技術的な点は殆どシロートの場合は少なくない。

この事で言えるのは「それで我々は豊かになったり幸せになるのか」という点だ。

なのに彼らは自分の事だけを語っている。
「実費でやっている」「金銭的に厳しい」「家族には泣いてもらっている」

答えは簡単だ「止めるか」「勝手にやっとけ」だ

オリンピックにしてもノーベル賞にしても我々は彼らの成果と世界で認められたという出来事は嬉しい。
絶対に必要なものだという事は明らかだ。
あの盛り上がりにはそれなりの何かが我々にはある。

税金を使うだけの意味もちゃんとあるはずだ。

しかし、子供達の未来というフレーズは彼らの言葉にも出てくるが明確ではない。
あくまで、あえて悪く言えば
それらの思いが単なるセリフであって真剣に「将来」という「なにか」を考えてはいないからに他ならない。なんとなくオリンピック選手とノーベル賞を目指す人達への税金の投入が無駄使いのような気がしてきてしまう。


そういえば唯一明確な事を言ったのは「毛利衛」さんだったがもっぱら目立ったのは
「入場者数は増えているんです」だった。
それが説得には成らない事は明らかだ。入場者数を増やすのはむしろ「当然」の責任だ。

私は「我々の「将来」という「なにか」を」見せて語って欲しかった。
利益とかそうじゃない「なにか」だ。

それが我々の気持ちを明るくして将来の希望が持て、
子供達の豊かな笑顔を沢山見れるなら国民は「それを無駄」とは言わないはずだ。

もう少し(税金を使うのなら)「将来」という「なにか」を真剣に語って欲しいと思う。


簡単な話だ。
あなたの家に有名なオリンピック選手かノーベル賞授賞者がやってくる。そしてこう言う。
「100万円私に使わせてください」
「決して無駄にはしません。」
「あなたやあなたの御家族の将来のためです」

さて、あなたはお金を寄付するだろうか?
きっともっとあなたにも分かる明快な「理由」を必要とするだろう。


もしかしてないの?。
だったら我々の税金は使うな。だ。