覚悟を決めるとき
どうでも良いような事なら「俺はやらない」と言い切れる自信はある。
単純に面倒だから。
しかし、「誰かがやらなければ」という状況でそれが後戻り出来ないような事だったら自分はどうするんだろうか?
逃れる口実があれば使いたいし「これなら仕方が無いよ」と自他共に認めるような口実があれば逃げる道を選ぶだろうか?。
多分、葛藤はあるだろうけど自分自身が納得出る口実なら逃げるような気もする。
しかし、その代わり自分以外の誰かが「それ」を果たさなければならない。
という結果をもたらす事になる。
その時その彼が「私がやります」といったら一生負い目を背負って生きていかなければならない。
それに耐えられるだろうか?
という結果をもたらす事になる。
その時その彼が「私がやります」といったら一生負い目を背負って生きていかなければならない。
それに耐えられるだろうか?
そして彼がそれを果たし成功させたら、私は生きていく世界を失うと思うに違いない。
そんな後悔を残すくらいだったら、、、
そんな後悔を残すくらいだったら、、、
最も怖いのはそんな弱い自我を奮い立たせて「いいえ私がやります」と、つい言ってしまいそうな気もする。それで彼と彼の家族は救われるだろうし、多少は癒しになるだろうけど既に言ってしまった後どう考えるだろう?
後でこっそり「あの時はそういったけどやっぱりヤダ」って言えるだろうか?
結局、弱い自分はそれすら言えず、、、何が怖いかって?、そういう弱さが怖い。
結局、弱い自分はそれすら言えず、、、何が怖いかって?、そういう弱さが怖い。
それが、どうでも良い人生を送っていたり自己中で平気で居られる人が羨ましい。
躊躇無く「やだ」って言っても誰もとがめないし、本人も平気で生きてゆける。
躊躇無く「やだ」って言っても誰もとがめないし、本人も平気で生きてゆける。
また、本当に強い勇敢な人も羨ましい。そういった人はやはり躊躇無く「私がやる」と言うだろうし。
成功する。まさに英雄の条件を備えている。
もしもの事があっても永遠に彼の勇姿は語られる資格がある。
成功する。まさに英雄の条件を備えている。
もしもの事があっても永遠に彼の勇姿は語られる資格がある。
映画なんかでは、いざという時に彼が突然私を殴り倒して勝手に行ってしまう。
そんなどちらも逃げなかったという結末もあるが現実にはあり得ないだろう。
そんなどちらも逃げなかったという結末もあるが現実にはあり得ないだろう。
人間の本質なんてそんなに変わるものじゃないだろうから後戻り出来ないと分かっていても誰かの為に、というような覚悟を決める時がいつかやってくるかも知れない。
それが何なのかはまだ分からないが、、、、