人の境界

先日、大阪で一人の男性が軽ワゴン車の下敷きで見つかり意識不明の重体という。
まだ58歳、働き盛りでもある。ひき逃げ犯は捕まりましたが、、、。

運転していたのは女子中学生、同乗のやはり中学生男子3人だった。引かれた男性は約180メートル引きずられた状態で車ごと放置して自宅に逃げ帰っていたようだ。

中高生くらいの年齢では親の車を持ち出して遊びに出かけるような悪ふざけもあるだろう。
多いとは思えないが、、、。日本中の何処にでもそんな悪ガキは居るものだ。
注:私は「だから」という事でこれを肯定しているわけではないです。

とにかく彼らにとってはちょっとした悪ふざけだっただろう。仮にそれは若気の至りと思って叱って躾をする事で忘れても良い。殆どはそうなるだろうが運命とは時として想像を超えた結末を用意している。しかしそれでも彼らは人の道を外さない行動を取れば結果は甚大だが少なくとも

過ちを償い「人」として生きる

事が出来る。

彼らには選択肢があった。思いつかなかった?。
彼らには選択肢が「逃げる」しかなかったのだろう。


昔、野球をやっていて何度か窓ガラスを割って叱られた覚えがある。男子なら少なからず経験があるだろう。子供たちの間でも窓ガラスを割って「ごめんなさい」と謝りにいく姿を見て僕が窓ガラスを割ってしまった時も「そうやるんだ」と子供心に思ったものだ。そうやって謝罪して叱られた。今から思い起こせばそれは暗黙的に伝承されていた。
しかし最近の悪ガキは一目散に逃げていく。

人としての「心」を親から子供へ子供から友達へ

そうやって伝承されるはずなのに。

以前、こんな場面に遭遇した事がある。
いたずらをした子供に親が

止めなさい、おじさんに怒られるわよ」。

違いますね。おじさんに怒られるからじゃ無いですよね。

さらに、数年前、親子が自転車で歩いているおじさんの横を抜けて行きました。危ないなーと思っていると少し遅れてきた子供がおじさんにぶつかったんです。
子供は一瞬、止まったのですが母親がこう言いました。「謝っちゃ駄目!!
通りすがりにこの後の会話が耳に入りました。母親は子供に向かって叱っていました。
先に謝ったらこっちの責任になるんだから、、、、

先に謝った方が悪者」(罪を認めたことになる)、、、、、
まったくおかしな論理です。これが親の教育だとしたら怖いのだが、、、

財産や地位、名誉を得るための勉強なんか「人」になってからで良い。
もっと大事な事を教える事こそ「教育」じゃないだろうか?

彼らや彼らの親がそんな教育を受け伝承されていれば、、、少なくとも4人いたんだから誰か一人でもそんな「人」だったら、、、本当に無念だ。

財産や地位、名誉を得る事に価値観を持つような無味乾燥したデジタルな人生を送るために生きているなんてつまらないじゃ無いか。もっとアナログな人同士、人間を高めあう関係に温もりと楽しさを持つ事が本当に良い人生だと思えるような国になって欲しい。