愉快な病人たち

電車内の愉快な人たちについてはこれまでも何度か書いたけど今日もまた真打登場。
私の横に座ったおじさんが凄かった。
電車が動き出すとおもむろにコンビニ弁当を広げてむしゃむしゃと食い始めた。
まあ、この程度ならたまに居るので我慢できない事も無い。しかし匂う。
程なく食い終わっって私も(多分、周囲も)やっと終わったかと思った次の瞬間だ。
再び弁当を取り出して、今度は焼きそば、ズルズルと音を立てて、さらに周囲に匂いを漂わせて、、、
もう勘弁してくれと思うのだった。
やっとソレを食い終わってお茶を飲み始めたのだが(そう、あなたなの察するとおり)お握り4個をムシャムシャと。結局、その後に菓子パン、ヨーグルト、お茶といった具合で、、呆れました。

ちょっと注意しようと思ったが止めといて良かった。そのおじさんTシャツはミッキーだった。
(怖っ!!)

コンビニに座り込む学生、電車内で化粧する女性、駅にたむろする学生、、、
実は共通点がある。
以前、私の知人医師が「あーあれっ、あれは病気だ」と言っていた。当然だろと思ったが彼が言うには比喩ではなくて「本当に病気」なのだそうだ。医学的統計もあるらしい。
そのような行動をする人たちの脳を調べるとその多くがある種の脳障害を持っていたそうだ。
(可愛そうだ)。


以前、私の上司も同じ(?)事を言っていた。
電車の中で悪ふざけをしている学生にお婆さんが注意していたそうだ。
言う事を聞かないので、さらにそのお婆さんは、、、
そこへ私の上司が逆にお婆さんに注意したそうだ。「やめなさい」と。
当然、ふざけていた学生も聞いている
(上司いわく、あーやって騒いでいるがかなり周囲を意識しているからだそうだ)。
「えぅ!?」と思うが次の台詞でTheEndだったそうだ。
「お婆さん、止めなさい。彼らは○○学園の生徒さんだから」(○○学園は知識障害者の学校)
すると「お婆さんは、あー気の毒に」と。気が付くと彼らは姿を消していたそうだ。

まあ、これは別としてやはり病気だという認識を持つべきなのかも知れない。
最近は特に、単にモラルが無いというのとは次元が違う気がしている。
社会も我々も彼らは病人なんだという認識で見てやることは必要かも知れない。
自覚としてモラルがあれば先程のお婆さんの声のように哀れんで見られるのは避けたいという気持ちがあるだろうから更生の可能性は十分あるだろうし一過性のものだろう。

恥ずかしいと思える心を呼び戻してやる一つの方法ではあると思う。さらに本当に病気なら早期治療にも繋がる。

そう、まずは彼らが「気の毒な病人だという認識」が我々には欠如しているのかも知れない。
病気ではないか?と気が付かせる事はもしかすると我々の責任であるのかも、、、、。