「100年の難問はなぜ解けたのか」を読んで
久しぶりにとても面白かった。一気読みしてしまったからね。
前人未到の偉業を成し得た数学者ペレリマンと彼とその人物像を追う取材班。
やはり、数学というと目を背けたいという気持ちは多くの人にあるが
取材班が常に我々シロートと同じ目線で取材が進んでいく点はとても安心感がある。
取材班が常に我々シロートと同じ目線で取材が進んでいく点はとても安心感がある。
実際、取材後記で殆ど理解できなかったと自白している(笑)。
数学者が取材班に苦心して噛み砕いた解説を試みた様子が滑稽にさえ思える。
彼らのこんな言葉がそれを表しているインタビューの後「肝心なところ撮れたのかな?」って。
数学者が取材班に苦心して噛み砕いた解説を試みた様子が滑稽にさえ思える。
彼らのこんな言葉がそれを表しているインタビューの後「肝心なところ撮れたのかな?」って。
さらに、様々な抵抗、「そんな数学の番組を作っても誰も見やしない」とか。
しかし取材班を突き動かしたのは孤高の数学者ペレリマンという人物像。
しかし取材班を突き動かしたのは孤高の数学者ペレリマンという人物像。
この本、やはり我々シロートにとっては難しい事も書かれている。でもご安心ください。
読み方としてはそういう難しい事は「へー」と流してもらっても良い。
読み方としてはそういう難しい事は「へー」と流してもらっても良い。
これは数学の解説本ではないからだ。
もし理解しようなんて思っても数学を専門とする人以外には理解困難だろう。
わたしもそうやって読みました。それは
わたしもそうやって読みました。それは
先程も書いたように取材班は常にシロート目線で取材の本質はペレリマンという人物像にあるからです。
さて、彼が挑んだのは「ポアンカレ予想」という超難問。幾多の数学者が挑戦し破れ去った。
ペレリマンは地位も名誉も大金からも目を背け、誰にも言わず密かにこの超難問に挑んでいた事が次第に明かされてゆくが。孤独な挑戦の恐ろしいほどの過酷さが彼を次第に蝕んでゆくように思える。
ペレリマンの幼少時から取材は行われている。
そしてペレリマンがあるとき姿を消すように表舞台から消えてゆく。
そしてペレリマンがあるとき姿を消すように表舞台から消えてゆく。
地位も名誉も大金も拒否して。
そして人間としてのペレリマンが次第に変遷してゆく。
そして再び表舞台から姿を消す。
そして再び表舞台から姿を消す。
こんな感じだ。詳しくは読んでみてください。
とにかく数学者と言うと地味な感じだがこれを読むとイメージは変わってしまう。
戦場といっても良いかも知れない。
とにかく数学者と言うと地味な感じだがこれを読むとイメージは変わってしまう。
戦場といっても良いかも知れない。
もしかするとペレリマンは真理を探究する為に得体の知れない何者かと真理と魂を交換したのかも知れない。